匡未のブログ

売り出し中のイラストレーターです。特に編集者や文筆家の方、よろしくお願いします!

入選しました。

陸王」読了。ドラマの続きが気になり、誘惑に負けました。現時点でのベストアクターは寺尾聰さんですね。

さて、御報告がかなり遅れましたが、外苑前のギャラリーMAYA主催「装画を描くコンペティションVol.17」で入選、準・高柳雅人賞を戴きました。

 

vol.17 | GALLERY HOUSE MAYA


コンペの入選って実は10年ぶりくらい。この装画コンペも最終選考止まりが続き(過去10年で3回)、ようやく鉄の天井を突破した?というところでしょうか?

その10年前のそれというのはイラストレーション誌の企画「ザ・チョイス」で、アートディレクターの森本千絵さんが選考された回。正確には準入選で、今とはペンネームもタッチも全然違います。技法もアナログでした。

さてコンペ、長くやっていて思った事ですが、自分の場合、自分の趣味で描いた様なモノは尽く落選でした。何らかの形で引っ掛かった時には共通のパターンがあって、それは大抵、描いていて面白いと思えた物の場合なんですよね。ネタで描いたというのか、ややいたずら心というのか遊び心からスタートした物は概ね反応が良かったりしました。

そりゃそうかもです。審査員だって人間です。機械的な基準で選んでいるわけでは無く、何となくクスッとさせられたり、余りに意外でビックリしたりと、そういう物にインパクトを受けるのは当たり前。逆に、選ぶ側の立場というべきか、普通にお客の立場に立ってみれば、そういうチョイスは当たり前でしょう。

ボクの場合は、ウケる事、つまり他人目線を少しは意識しなければダメという感じでした。

過去に、ゲームの仕事でCGやっていた当時から感じる物はありましたが、いわゆる天然・天才の人って、ナチュラルにウケる特別な物がサラッと描けたりする様に見えます。しかしそうでない、ボクなんかもその中に入るのでしょうが、いわゆる凡庸な作り手って、普通に描くだけでは歯が立たない。何らかの+αの工夫をして初めて天然・天才と勝負できる土俵に立てるという感じです。彼らに勝つとなると、そこから更なる+αを加える必要が出ます。

実のところ、セツモードに通ってた当時は、そういう作為的な工夫がイヤで、それを捨ててやっていて、一応はそこそこ満足いく感じにやれてました(割とロビーに貼り出して貰ってましたし)。

しかし、そこから離れ、実際の世間に送り出すイラストレーションに取り組むとなると、それではイカンと悟らざる得ないシーンが多かったというのが実感です。

「天然では行き詰まる」というのが、ボク自身の結論です。

きっと世間には「ありのままの自分」「素の自分」で勝負し、勝つことが一番美しいという価値観がある事は重々承知してますが、しかし、その縛りが命取りになる事もある事は覚悟した方が良いかとも感じます…。

どっちを取るか?自分という物を見極め、これはなるべく早い段階で気がついた方が良いかと思います。

尚、ボクはそういう「素の自分」をぶつけた様なモノは、誰にも見せる事のない自身のライフワークに留めようと思っております。誰の目線も気にせず、存分に自由な世界を持つというのは、必要な事だとも感じますしね。自分の中でバランスを取る事も大事なのです。

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派手で美しい薔薇でさえ。

ツイッターで「展示にお邪魔しました」という企画じみた事を、個人的に細々とやっております(現状、あまり影響力があるわけではありませんが…)。

こちら要するに、実際にお邪魔した、イラストレーターさんのギャラリー展示について情報を流し、色んな人の目に触れて貰おうという趣旨。尚、展示に行くのは大抵ランダムで、特に狙いを定めてという事はありません。もし呼ばれれば、可能な限り伺います。

さて、情報って、流さない事には誰にも知っては貰えませんし、当然、思い出しても貰えません。日々の情報って、イベントの情報だけでも、イラストレーターさん達の作品展示以外にも多く、埋もれがちなのが現状です。

そして、大抵の展示は一週間(正味5日)というのがスタンダードで、その間に休日は二日。一般の方に観て貰うにもチャンスは少ないというのが実情です。

 「展示」とは、個々のイラストレーターや画家にとって、まさに己を賭けた「大勝負」の舞台です。その規模の大小はさておき、作品展示というものを実際にやってみると、その心中や労力の程は理解するところ。その内容が、個人としてピンと来ないからといって、決して「ぞんざいに扱う」なんて事は、あってはならないとも、個人として強く感じます。

仮に、あるイラストレーターさんの展示や作品が、例えばボク自身にはピンと来なくても、「きっとあんたにお似合いの人がいる♪」でもありませんが、フィットする方はいる筈です。だから、誰に宛てるでもなく、ボトルメールを流すかの如く、その情報をネットで流せば「理想のマッチング」が実現するかも知れない、などと思ったりもするわけです。

現状、そんな感じでやっております。

しかしですが、今のやり方、どうも色々と問題点が発覚しつつあるので、次回くらいからフォーマットを変えます。

先ず、とにかく書くのが追いつかない…。

その上、実は現在、バッテリー回りでスマフォが不調で、そこに左右されて、展示ごとにその発信タイミングに差が出ちゃうという事態も発生しちゃってたりします。結果的に、意図せず不公平な扱いになっちゃうんですよね…。

あと、自分の好みによるバイアスをかけたくないので、全部の情報をなるべくフラットな扱いにしてますが、モノによっては「個人的に大絶賛」というのもチラホラありまして、そこをどう上手く伝えたいか?というのもあります(自分の趣味とか通り越して、寧ろパブリックな意味で「参考になりそうでは?」という物もあるんですよね。ブレイクスルーの凄いヒントになるんですよ…)。

その「大絶賛」も、例えば特にそれがグループ展の中の一つだったりすると、何か小物が偉そうに、そこの参加者達に対して一方的な「格付け」しているみたいになりそうで、エラく微妙な感じもしますしで、「感想」や「批評」というのも難しいと感じます。

そもそもボクは、特別に「感性が鋭い」というCMに出る様なスタア・レベルの「違いの分かる男」でもありません。故に「勉強させていただく」というつもりで、ジャンルを問わず、様々な方々の展示を観て回ってるというのもあります。

よって、ウチのちょっと長めの投稿とかなんて、そこを大前提に読んでいただければ…という感じなのですが、人によっては、全くそうは取りませんから、難しいモノと更に感じます(所謂「小物如きが偉そうに…」というのもありそうです)。

世間には、特にモノツクリ業界には、感受性が並外れて高く、脆く、そして傷つきやすい人が多いというのも、実はよく知っております。

実際、過去に「過ぎた」感想だったのか、決して酷評をしたわけでは無いのですが、結果的に心を傷つけてしまい、以降、感想はなるべく控えていたという事もありました。しかし「無反応」というのも同様に傷つけるという事もあると、最近知った次第であります。

確かに「無視される」「スルーされる」事の悲しさって、さすがにそれ、凄く分かります。

しかし、この世の、例えば本屋さんに出掛けた時、果たしてどのくらいの物に対し無視せず観ているのか?という問題も発生するはずです。

その一点一点が、ガチに生活さえも賭け、送り出されているという事を鑑みれば、かなりの方が無自覚にも、相当に残酷な事をしているという事にもなります。「お前は今までに喰ったパンの枚数を覚えているのか?」というぐらいに無視し、スルーした物なんて、この世の個人個人には沢山あるのが現実です。

「傷つきやすい人」は、そうした事を踏まえて、作品発表はした方が精神衛生には良いんじゃないかと感じます。どんなに派手で美しい薔薇でさえ、無視されるときは無視されるもの。そういう物だと思いますしね…。

「作り手と愛好家の出会いの一助」。その為に、ボクも可能な限り、なるべく多くの情報を公平に発信する様に努めたいと考えます。

よって、これ読んだ方、もしよろしければ個々の作家さんの展示情報の拡散とかでもいいですし、或いは独自の批評をマメに出すなど(寧ろこちらの方が良いでしょう)、ホント、よろしくお願いしたいと思います。

世間には、そのワンクリックで、これから大きく育つ作家性があるのかも知れないのですから。


※追記)2017年9月より「展示にお邪魔しました」は、その本体をインスタに移設しました。アカウントは以下となります。よろしければフォロー、よろしくお願いします。

www.instagram.com



名刺に載せる情報について。

あるクリエイターさんと名刺交換。

「あ、住所入ってるのヤバいですよ」と注意喚起。神経質かも知れませんが、これは毎回の行事。うるさいのだけどスミマセン…。

何でこうなのかと言うと、あんまり書きたくないけど、結構以前にしつこい「つきまとい」にあったからです。

以下、結構ボカしたり脚色したりで書きます。運悪く、ある偶然で、ボクの個人情報を得た相手から、ある日突然、郵便物が来たのですが、読むと中々背筋の凍る事が書いてあったりで、これは無視せざるを得ず、その内に二度目の郵便が届き、続いて電話攻勢となりました(確か約三カ月)。これは留守電でひたすらスルー。

住所が知られている以上、自分以外にも害の及ぶ可能性があるわけで、しかし特に有効な対策も思いつかず、もし本人がやって来たらどう対処しようか?という感じでもありました。いつやって来るかも分からず、ストレスなのかで胃が痛くなったり、出掛ける度に家が心配となる有様…。

運が良かったというべきか、相手は諦めたのか、やがて電話も収まり、結局は何事も起こらずに済んだのですが、もし下手に相手をして、刺激をしていたらどうなっていたか?という怖さは残り、個人情報の管理については慎重にすべきという結論に至った次第であります。

尚、その相手というのは、昔の知り合いで、その当時は普通に明るく、いわゆる「リア充」と分類される様な人間だったんですよね。ところが長く疎遠となっていた間に、どこかで歯車が狂ったらしく(多分、仕事・人間関係によるものと推測)、そんなしつこい行為に及ぶというぐらいに変わっていて(仕切りたがりで自己顕示欲と支配欲が少し強いかも的な「気配」みたいなのが、あったにはあったのですが、無視できるレベルではありました)、要は、誰が何時どう豹変するか?なんて分からないという事も、その怖さとしてあるという事なのです。

これは血液型占いの様な、単純なタイプ論みたいな話で判断できることではありません。例えば、華やかで爽やかに見える好人物の裏の顔が、案外と残忍で陰湿なんて話は、日々のニュースでも結構伝えられる事ですしね。

更にですが、もしその一件だけなら、ここまで考える事も多分無かったのですが…、つまり、それ以前にもあって(複数)、その時に知られていたのが電話番号やメルアドだけだったのが不幸中の幸いでした。

逆にですが、正直、名刺を貰うこちらの側も、実は住所が書いてあるのって、あんまり有難くは無くて、例えば、貰った帰りにどこかで落っことすとかで、それを拾った第三者が悪用しないとは言い切れず、また、管理・保管の面でも気持ちが少々重いので、正直「住所の情報は要らない」というのが本音です。

そもそもボクはクライアントとかではありません。献本みたいに、こちらから特に郵便とかで送る物もありませんし、その情報は一切不要なのです(それどころかメールを出した事もあまり無い…)。

確かに相手によっては、住所やその他個人情報を出す必要がありますので、それは「必要に応じて出す」というのがベストでしょう。少なくとも「最初のコンタクト」では「最小限に留める」というのが良いと思います。

ただ、これは「人を見たら泥棒と思え」みたいなひどい発想で、非常に気持ち悪いのですが、逆に、出す情報を絞ってリスクを管理をする事で、無駄な不安を減らす事が出来ます。この御時世、そのメリットを取るべきですね。

そこが分かっているであろう作家さんは、やはり「電話番号とメルアド(+HPアドレス)」だけに留めてます。当然、ボクも「その程度」を強く推奨します。

ホントはこんな事を考えずに営業などがやれれば良いのですが…。ここは繰り返しになりますが、誰がどう豹変し、更にはどういう理由でターゲットにされるかなんて分かりません。

その理由は様々で、美形だから狙われるという事もあれば、「ムカつく」という事で狙われるという事もあります。作家さんなら作品などの評価を巡っての揉め事とかも十分あり得、承認欲求みたいな事からしつこくつけ狙われる事もあるかも知れません。タガが外れてエスカレートする可能性だってあります。

正直、あんな怖い思いは誰にもして欲しくありません。ホントに色々と無駄ですからね…。色々なロスもありましたし。

マジで御検討を。

「修行」と称し…。

ギャラリー巡りで絵本関係の展示三か所を回る。

半日で合計21冊くらいのダミーや試作、発行済みの絵本を読む。結構クラクラ…。
全然別の作り手達による、世界観が全く異なる物を連続して読むのは意外とハードで、頭の柔軟性がそれなりで無いと対応しきれない感じではあります(そこが面白いとも言えますが…)。
 
過去に一度「修行」と称し、地元図書館の児童書コーナーで、棚に並んでいる絵本作品を、名前に「あ」のつく作家から始め、片っ端から一つ一つ読んでいくという事をやった事があります。
 
その時は結構頑張って「た」行ぐらいまでは行きました。これはクラクラどころではなかったですね…作品酔いというべきかそんな状態。
 
と、こんな感じで少々ハードではありますが、これはかなり勉強になる方法なのでお薦め。ただ、何かと問題のあるこの御時世、いい大人が児童コーナーに居座ると、不審者扱いのリスクも無いわけでは無いので、一応身分証とか名刺の類は持って行った方が良いかも知れません。
 
ちなみに、その時に結構気になったのが「風の子リーニ/ベッティーナ・アンゾルゲ」という作品。80年代、福武書店(現・ベネッセ)から出版されておりました。本自体は遥か昔に絶版の模様。画像もヤフオクぐらいでしか見つかりません。

そしてもう一冊がこちら。おんなのことあめ

 
気になったので調べてみたのですが、ヤン・クドラーチェクの絵本作品って、復刊されているのはこの「おんなのことあめ」ぐらいで、他は全く無いんですね…。同じく文章がミレナ・ルケショバーによる「ゆきのおうま」など、こちらに匹敵するぐらいのインパクトなのですが…。

それはさておき、「よく知らないんだけど気になる」「趣味じゃないんだけど印象に残る」という物が見つかるのもこの方法で、「意外な作品に反応する自分」を発見できる可能性があります。
 
勉強になるとかカタい事以上に面白いので、お試しを。


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デザインしたのにカオスを産む。

元デザイン系という事もあって、暇なときに過去の様々なデザインを眺めたりする事があります。

そのジャンルは問わず、レーシングカーからアニメやSF映画のメカまで色々。カタチその物もそうですが、時代に伴う作り手たちの意識の変化みたいなものが読めて面白いですね。

このところ「ガンダム」に出て来たザクの系譜を見たりしてますが「ガンダムU.C」に出て来たギラ・ズールが良いです。

量産機としてのザクらしいシンプルさと、それまでのガンダムシリーズの作品に出たザク的なモビルスーツの要素を上手くリミックスしており、「これぞ決定版」という感じがします。

いい仕事しておりますね。

逆に、それまでのガンダムシリーズの、ザク的なポジションのモビルスーツにはデザインラインに混乱が多い気もします。

特に失敗していると感じるのが「Zガンダム」に出て来たハイザックで、存在自体が連邦製のザクという位置付けという特殊な物ですが、しかし「何故わざわざザクのカタチを採ったのか?」が番組の中からはサッパリ見えてこないんですよね…。何か単純に「ガンダム(Mk2)の相手はザク(ハイザック)だろ」という様な、現実のオシゴト的な粗さが感じられ、リアル路線という事からすると台無しという気がしたものです。そして更にデザイン上の混乱は、そこに留まらない印象でした(その最たるモノがモビルスーツのバーザムに現れてしまったのではないでしょうか?)。

そういえば「Zガンダム」が放映された、80年代後半というのは、バブル経済という事もあって「デザイン」が何かと持てはやされ始めた時期でもあり、名古屋の「デザイン博」が丁度その時期の開催でした。実際に博覧会場に行きましたが、今一つ「デザイン」というものを直観的に伝えてる感じがせず、逆にひどく混沌とした印象だけが残っております。

「デザインしたのにカオスになる」という不思議な現象、どうもこの当時はありがちだったのか、今はデザインで高評価の自動車メーカーのマツダも、販売チャンネルが「MAZDA、オートザムアンフィニ、ユーノス、オートラマ」と五つもあって、ひどく解り難いモノとなってました。

それぞれで出していた車のデザインはしっかりしたものだったのですが…。残念な事です。

マツダの多チャンネルにせよ、Zガンダムモビルスーツの乱発にせよ、これらのケース、デザイナーの仕事量が結果に反映されてない感じがして勿体ないんですよね…。

そもそも、感性(官能性)だけでなく、世界観や物語性などを瞬時に直観に訴えるのもデザインの役割の筈で、80年代は、まだ後者が今一つ理解されてなかった感があります(不思議な事に70年代はそれが出来ていた気もします。感性面は粗いのですが…)。

今はそういった混乱を経た後ですから、どこも直観に訴える様に整理するのが上手くなっており、個別のデザインも充分に練られてます。寧ろひどいのを探す方が難しい…。

但し、クルマにせよガンダムにせよ、既に好きな人だけが観る感じとなってしまい、かつての様な、大勢を巻き込む「熱さ」が無いという状況だったりしますので、歯車って合わないものだという気もします…。